ロコ、いつかまた

愛犬の死を家族全員で看取った。メスの黒い柴犬で、17歳だった。彼女の名前はロコと言った。

ロコは私が小学六年生だった年の秋頃に家へやって来た。先代の犬であるゴールデンレトリバーが亡くなってから半年程が経っていたと記憶している。先代の犬はとても穏やかな性格だったが、ロコは打って変わってすばしこく、すぐに文句を垂れる犬だった。当初は家族一同が先代の犬との違いに戸惑い、手を焼いていた。
成犬になるとある程度は落ち着くようになったが、それでも元気が有り余っているという様子で、散歩に出かけると全身でリードをぐいぐい引っ張った。その癖、妙に臆病な一面もあって、彼女はよく犬見知りをしていたし、家で母が掃除機をかけると私の膝の上に乗ってきたりした。私は正直あまりロコの面倒を見ておらず、好きな時にちょっかいを出すだけ出すという立ち位置でいたため、彼女の中の「群れヒエラルキー」では最下位だったと思われる。けれども掃除機が登場した時だけは一目散に私の膝の上に乗っかってきた。私はその時の、ロコの毛皮の匂い、触感、重さ、体温、不安げな鳴き声などをくっきりと思い出すことができる。
私はロコのことが大好きだったけど、ロコが私のことを好きだったかどうか分からない。彼女が何を考えていたのかずっと分からなかったし、これから先も分かることはない。それでも、何を考えているかも分からないけれども、毎日をただひたすらに生きている無垢な存在が傍にいてくれたという事実に私は何度救われたか分からない。それは実家を出てからも変わらなかった。精神の病が重くなった時、仕事が立ち行かなくなった時、人生に倦んだ時。ふと彼女のことを思い出して、あと少しだけ前に進むための気力を貰った。

独り暮らしをしている私はロコの死に目に立ち会うことはできないと思っていた。父も祖父母の関係で一日おきに家を空けているし、妹も仕事が忙しいから、家族全員で看取るなんて尚更無理だと思っていた。しかし、ロコは家族全員がいる時を選んでくれた。最後はか細い声で自身の死を知らせてくれさえした。全く飼い主孝行な犬だ。私たちはそんな飼い主孝行の犬にたくさんお礼を言って、愛用の毛布やハーネス、百合の花などを添えて丁寧に丁寧に弔った。
棺がわりのダンボールの中で横たわるロコを見ていると、ある春の日、薄黄色の陽光が差す庭をじっと見つめていた彼女の横顔を思い出した。目や鼻がまだつやつやと黒く、潤っていた頃だった。ロコはその瞳で何を見、その鼻で何の香りを嗅いでいたのだろう。私はそのことを死ぬまでずっと考えるような気がしている。いつか私が死んだ時、また彼女に会うことができたら、答えを聞いてみようと思う。きっと答えなんて返ってきやしないし、私のことなんて忘れているかもしれないけれど。頭くらいは撫でさせてくれるだろうか。
だからロコ、ありがとう。いつかまた。

見たら終わり

 私が今までに訪れたどの自社仏閣にも似た神社にいる。姿形もおぼろげな友人と一緒にいる。境内には二本の松の木があり、それを拝むことができるという。私たちは一本の松の木の裏側に回った。正面では神主たちが儀式を執り行っていたからだ。松の木の裏側で、私は熱心に祈りをささげた。すると、祈りの最中、突如となりに現れた神主がちょっかいをかけてくる。「随分と長いこと拝むんですね」「あなたもう45分くらい拝んでますよ」。そんなに拝んでいるはずはないし、真剣に祈りをささげている途中に喋りかけられれば不愉快になる。しかし、私はそれだけ必死にささげていた祈りの中身を覚えていないのだった。

 場面が切り替わる。
 友人の雰囲気はいつの間にか消え失せ、一人になっている。恐らく同じ神社なのだろうが、私は本殿の中で境内に出る道を探してさまよっている。すぐ目の前に広がる境内になぜか降り立つことができない。縁廊下をぐるりと廻って本殿の裏手に出ると、不気味に身を捩らせた大木がひしめきあうように何本もそびえる森林が広がっていた。木々の根元には白くて大きな、これまた不気味にぶよぶよとしたきのこが沢山生えているのが見えた。その森は本殿ぎりぎりまで迫っていたが、粗末な金網があちらとこちらに境界線を引いているお陰でなんとかこれ以上は浸食してこないようだった。暗くて本当に気味が悪いし、何かが腐ったような厭な臭いも漂ってくる。
 金網沿いにしばらく進み、適当な場所で本殿に上がると、巫女装束の女の子たちが二、三人忙しなく歩きまわっている。瞬間、私もどうやら巫女の一人であったのだと気付いた。長年生活を共にしてきた巫女たち(男の子もいた)と談笑する。この本殿を卒業して俗世に出た先輩方は霊能力者として生計を立てているらしく、そのうちの一人が「見たら終わり」の幽霊を退治することに失敗したとかで、廃人状態だという。息を切らしてやって来たもう一人の巫女が「また先輩が失敗した」と私たちに告げる。次は私たちの番らしかった。

  幽霊が巣くっているのは、私の祖父母宅だった。しかし祖父母の姿はない。私は気づきも疑念も不安も一切なく、巫女たちと共にそこへ乗り込んだ。居間には失敗した私たちの先輩(随分と老け込んだおじさんだ)が青白い顔で、虚空に懺悔と謝罪の言葉を吐きながら佇んでいた。
 そいつはトイレに棲んでいる。トイレの扉はすりガラスで、外からでもうっすらとそいつの輪郭を辿ることができる。人の姿を模っていると思われた。勢いよく開いた扉の奥から飛び出してきたのは、からからに干乾びたおじいさんのミイラみたいな風貌をしていた。
 それからのことは画面が目まぐるしく変わっていったために上手く説明できない。そいつはなぜか私には手を出さず、周りの巫女たちばかりを攻撃していた。攻撃といっても、腕を大きく伸ばして脅かしてくるとか、巫女たちを裸にして向かいにある風呂に突き落とすとか、「見たら終わり」の幽霊とは思えない稚拙な手ばかりだった。しかし私たちは恐々としてそいつに立ち向かう他なく、皆懸命に攻撃を受けていたように思う。 

 場面が切り替わる。
 居間に戻っている。私たちは私たちの先輩を皆で組み敷いていた。先輩は私たちの手足の下で言葉にならない声を漏らしながら蠢いている。彼の顔色が限りなく青白くなっていくことに恐怖を覚えた。
 ふと視線を感じて仏間に目を向けると、広縁から母がこちらを見つめていることに気が付いた。私は眼下に組み敷かれている男の顔色と母を交互に見つめるので忙しかった。しばらくすると、おもむろに母が仏間を横切ってこちらへ歩み寄ってきた。傍らには松葉杖をついた父もいた。父は私を一瞥すると「少し疲れたなあ」と呟いた。彼はそのまま異様な様子の私たちを無視して、トイレの方へとまっすぐ向かっていく。いけない。父は「見たら終わり」の幽霊がトイレに潜んでいることをきっと知らない。咄嗟に私が父を追いかけた時、彼はなぜか風呂場に入ろうとしているところで、その背後を狙うようにトイレの扉がゆっくりと口を開けつつあるところだった。ほとんど全身を打ち付けるくらいに扉を抑え込んだが、すさまじい力で押し戻される。水分の蒸発しきった幽霊の目が扉の端からじっとりと覗き込んでくる。そこで私は、そいつの瞳が青緑色っぽいことに気が付いた。

初秋、雑感

 生まれてこの方不安定な日々しか過ごしたことがなく、他人よりも何よりも自分が最も信用ならない心持ちで労働その他、人生の義務というやつを必死にこなしている。「意外と生きられるぞ」と思う日もあるにはある。が、前提として「だから何?」という生存に対する虚無感に心が沈んでいる。全ては徒労に過ぎないと誰かがいつも耳打ちしてくる。

 今年も夏が人間たちに容赦なく熱波を浴びせ、それなりの人数を殺してから去っていった。私たちの何もかもを突如さっぱりと洗い流す死が夏にはあるような気がする。いや、実際のところ暑さ寒さで死ぬなんて身悶えする苦しさだろうし、それに限らず死の瞬間は多少の苦痛を伴うものだろうし、別に春夏秋冬いつだって人間は突然死ぬけど、私は特に夏の死に夕立のような印象を抱いている。揶揄われているくらいに高い空から、透き通った致死性の美しい針が降ってくる。直下に佇む者の都合などお構いなしに、じりじりと知らぬ間に命が削れていって、ふっつりと形を無くす。そんな盛夏の日を想像してみる。最も死臭が濃い季節は夏だと友人たちと語ったことがあったっけ。今年はコロナ禍も相まって、同じ印象を抱く人が多かったんじゃないかと思う。

 それなりに歳をとり、「生きることも死ぬことも偶然の産物」というありきたりな教訓を噛み締める機会が増えてきた。高級な食事、旅行やエンターテインメント、服、靴、化粧品その他、車、家、所帯やペット……全ては生存に、あるいは死に無理やり意味を持たせるための短期目標に過ぎないことを思い知らされる。しかし短期目標すら持つことが叶わず「ただ生きるために生きている」人も少なからず存在しているはずで、他ならぬ私こそが今段々とそういう人になりつつあり、偶然に死ぬのが先か、シンプルな生存に耐えられず幕切れを選ぶのが先か、毎夜寝苦しいベッドの上で逡巡している。
こうした苦悩(本当は苦悩と呼ぶほど深刻なものではないことも私は知っている)を何かしらの芸術表現に昇華し、他人を擬似的に救うことを夢見た時期もあった。それも今やインターネットに擬似的な救いが腐るほど満ちていることを思うと、必要のないことだ。

 今年の夏もなんとなく生き永らえてしまった私は、秋も冬も春も生き永らえることになるんだろうか。早急に意味を作り出す必要がある。意味を作り出せなかった時……幕切れの時を思うと手指が熱を失うほど恐ろしい。その冷たさがまだ、私を安堵に導いている。

『砂の女』を読んで

恐らく、主人公の仁木順平に自身の面影を見る人は少なくないだろう。
妻があり、職があり、傍目にはそう悪くない人生を送っている男。しかし退屈で単調で、周りの人間の些細な嫉妬や野卑にうんざりする。とは言え今更異なるたつきの道を切り拓く覚悟もなく、趣味の昆虫採集であわよくば後世に名を遺したいと、その程度のあえかな自己実現欲求を抱いている。仁木順平はあの砂の集落を訪れることがなければ、内心で愚痴りつつも最期まで単調な生活に身を投じたままだっただろう。彼のような人間(そして私たちの大多数)はきっと、ある日強制的に何かを変えさせられることしかできない。

もっとも、強制的にもたらされる変化が幸福なものである保証はどこにもなく、むしろ今まで見たことのない昏い空がその者の頭上に覆い被さるものだ。仁木順平が突如引きずり込まれた、砂の坩堝の底で得体のしれない女と強制労働させられる生活。しかしここで重要なのは、幾度も脱走を試み、その悉くが失敗した結果、彼は最終的に女と生活を受け入れたことだ。

無味乾燥の苦しい生活において、隣にいる女は敬虔な修道女のような、あるいは白痴の女神のような、ファムファタルだ。依りかかり、かつ依りかかられる柔らかな存在。彼だけが彼女を慰め、彼女だけが彼を慰める。仁木順平は今までの生活でそのような相手を見出すこはなかった。彼女は明らかに砂の町の象徴ではあるが、きっと仁木順平の内側にある乾いた部分にぴったりと嵌る部品でもあった。彼女の存在が彼の怠惰心――与えられた境遇に最終的には甘んじてしまう緩慢な諦め――をより強固なものにしてしまったように思える。無論、彼の脱走計画が成功する可能性もあったわけだが、その場合でも彼は女のことを脳裏に思い描き、彼女が欲していたラジオと鏡を送ろうとしていた。単に情が移ったと言えば分かり易いが、実際のところは女の存在がすでに仁木順平の精神に深く深く滲み込んでいたことの証左であるように思う。彼は遅かれ早かれいずれ砂の集落のシステムに組み入れられることを受け入れていただろうが、女がその時を早めたことは間違いない。

無為な生活を甘受することも、絶望的な状況を飲み込むことも、畢竟、同じことだ。ましてや、自らを慰めてくれるものの存在があれば大した労力はいらない。労働、物欲、趣味、宗教、家族、恋人。きっと私たちは誰しもが「女」に代わるものを持つことで日々をやり過ごしている。いつか「女」そのものが現れた時、私たちは「女」に依りかかられる心地よい負担のみを心の助けとして、緩やかな諦めに全身を任せるのだと思う。そして、異常はゆっくりと日常の色に塗り替えられる。

 

いつか素敵な浴衣を買おう

小学生に上がったばかりの頃だったと思う。
祖母が浴衣を買ってくれると言って、祖母と母と私の3人で船場センタービルに出かけた。低い天井の古ぼけた店をいくつか巡って、黒地に苺が天の川のごとく散りばめられている柄の浴衣を私は見つけた。黒いのも天の川みたいになっている苺も私の為にあると考えたくらいにその浴衣を気に入ったが、紫陽花やら蜻蛉やらといった古典柄を私に着てほしかったのだろう祖母は、困り眉の笑顔で私と浴衣を見るばかりだった。その笑顔は私に祖母の願望を瞬く間に理解させた。なのに母が「それはおばあちゃんが嫌がってるから」としきりに耳打ちしてくるのが腹立たしかった。
結局、祖母と母が勧めた浴衣を買ってもらった。藤色っぽい浴衣だったと思うが、忘れてしまった。心奪われたあの浴衣じゃないなら他のものなんてどうでもよかったし、朝からずっと歩き通しで疲れていたし。脳裏にこびりついているのは、満足げに微笑む祖母と礼を促す母の声色だけだ。

その晩、買ってもらった浴衣を家で着たところ、丈が間違っていたか不良品だったかで駄目だという話になった。電話口の祖母が「そうかあ、あかんかったかあ」とひどく残念がったので、私もそれに合わせてなるべく悲しそうに話した。今のを返して、代わりのもんを買ってあげよな。祖母の親切心を裏切ってはいけないと思ったが、正直、薄暗い天井が垂れ込めた通路にびっしりと店が並ぶあの建物をもう一度訪れる気にならなかった。次の土日は用事があるとかなんとか言って、あとは母に電話を替わったように思う。祖母と母がそれから何を話したのかは知らない。

次の次の日のことだった。学校から帰ったら、あの、苺の天の川の浴衣が和室に掛けてあった。興奮で視界がわあっときらめく、魔法めいた瞬間は初めてだった。この浴衣がどうしてここにあるのかを問う私の大きな声に、リビングにいた母は「おばあちゃんが一昨日の浴衣の代わりに買ってきてくれた」と応えた。
しかし、その声のくっきりとした不機嫌さ!恐る恐るリビングに向かえば、案の定難しい顔をした母がダイニングテーブルに鎮座していた。母は、私の「わがまま」を汲んだ祖母のことを気にかけているらしかった。途端、さっきまで確かにきらめいていた視界が端からちろちろと煤けていくくらいに、「私は何か取り返しのつかないことをしでかした」という後悔に思考を支配された。そうしないように気を付けていたが、私は祖母の親切心をいつの間にか裏切っていたのだと思った。
外が完全に暗くなってすぐ、祖母から電話がかかってきた。電話口の祖母は相変わらず優しかったが、私は恐る恐る謝罪の言葉を呟くのに精いっぱいだった。

 一度は心を奪われたあの可愛い浴衣は、私がしでかした不義理の象徴になり下がった。優しい大人たちの期待を不意にしたこと、しかし幼心にどこかで「そう思わされてしまった」ことへの幽かな怒りを抱いたことをどうしても思い出してしまうので、浴衣には一度きりしか袖を通していない。今や、所在も知れない。
そしてこの思い出は、大人になった今でも私のか細い神経に絡みつき、折に触れては喉元まで這いずり出て、首を締め上げる。ただ、せめて、孫の謝罪に祖母がどう返したのかを覚えていれば、もしかしたらこんな風にはならなかったのかもしれないとばかり考えている。

毎日の終わりに考えていること

 自分の言葉が年齢を重ねるにつれてこんなにも薄っぺらくなっていくということを、毎日強く強く実感している。世間一般には年を取った人の言葉が(本質的に優れているかどうかはともかくとして)重用され、若い人の言葉は軽んじられるものなのだろうが、私の場合、もうずっと逆の感覚に脳を支配され続けている。
 この感覚に悩まされるのは第一に仕事の時、自分のしている事の価値を相手に納得させなければならない場面だ。初めは年上の男性相手に話しているから相対的に自分で自分を委縮させてしまって、言葉にも自信がなくなるのだろうかと考えていたが、どうもそうではないということに私生活を通じてすぐに気付いた。とにかく何を話しても、書いても、薄っぺらい。偽物の言葉がうようよしていて気分が悪くなる。仕事の時は義務感で何とか話しきっても、私生活で友人に自らの思考を自由に語る時は途中で耐え切れなくなって話すのを止めてしまう。Twitterで呟かなくなる、iPhoneのメモを消す、手帳を破り捨てる。後はベッドに潜り込んで天井を見つめている。


 よく考えてみろ。


 言葉を放棄したからと言って思考は止まらない。豆電球の鈍い橙色の光に照らされた天井、そこに思考が映し出されて揺らいでいる。自分が今考えているこのこと、言葉にしてしまうから陳腐になるのか。それとも、全て言葉にするのも陳腐なものなのか。いずれにせよ、私は私に備わっていた唯一の(本当にただ唯一の)表現方法が日ごと駄菓子の包み紙の様に薄く、軽く、無視され棄てられるべきものとなっていくのをぼうっと眺めている。なぜこうなってしまったのかの結論に至るのは簡単だ。言葉だけじゃなく私自身の全てが陳腐だからだ。元々生まれながらにしてそうだったのか、それとも感覚通り年齢を重ねるにつれてそうなっていくのかはどうでもいい。とにかく今の私が薄く、軽く、無視され棄てられるべきものに違いないのだ。お前の言葉が駄菓子の包み紙なら、お前自身は黄ばんだ汚水に濡れそぼってとろけたティッシュペーパーじゃないかと声がする。この声はいつか聞いたことがある……。

さらばうつくしい八月

 好きな季節と言えば断然夏で、暑さも大して苦にならなかった。

 海で泳いだり山に泊まったりなんて活発的なことはあまりしないが、私は私で毎年の夏を楽しむ術を知っていた。例えば、空。雲一つない晴れ空は他の季節のそれよりも随分と高く見える。あんまり高く見えるものだから、かえって作り物めいた印象を青空から受けることもある。自分の生活圏を完全に覆う青いドームを見上げていると、次第に夏の匂いに気付く。春の匂いは春が訪れた時、秋の匂いは秋が去っていく時、冬の匂いは冬が深まって寒さが底を打つ時に最も強まるが、夏の匂いは少し違う。夏の匂いは他の季節のものよりもずっと多くの種類があって、一日の内に何度も私たちの傍を漂う。朝日が昇れば地面から甘い湿気の匂いが立ち昇り、昼には容赦ない日光に焼かれた空気の匂いがする。夜には風に吹かれてどこからか植物の様な柔らかい匂いがする。その全てを汗ばんだ肌に纏って、行く当てもなく街を歩くのが大好きだった。

 しかし夏が終わろうとする今、あんなに好きだった匂いと今年は一度も出会えなかったことを思い返している。大きな仕事を初めて任されて、疲れ果て、休日もろくに外を出歩かなかったせいかもしれない。もしくは夏の匂いに気付くだけの感受性が私にはもはや無いからなのかもしれない。いずれにせよ、匂いも空も意識に残らない夏を過ごしたことが寂しくて仕方がない。

 一方で、年をとる度にこうして夏の過ごし方が変わっていくのかもしれないとも考えている。五感に夏を受け止めるような楽しみ方は、本当は子供の頃にしかできないのかもしれない。思えば大人になってからは花火も、お祭りも、友人たちとうんざりするくらいにゲームで遊ぶのも、一切を子供時代の思い出を追いかけるように楽しもうとしてしまう。今更思い出を追いかけたところで、得られるものは何も無いのに。高い空や夏の匂いなんていうのも実のところ、くたびれた心身をノスタルジーに浸して癒したい私の都合の良い思い出なのかもしれない。

 今日はネイルを新調しに出かけて、帰路に着く頃にはすっかり暗くなっていた。もう随分と涼しい風が吹くようになっている。それでもまだ、という気持ちで大きく息を吸い込んでみたが、最後の夏の夜は香らなかった。