さらばうつくしい八月

 好きな季節と言えば断然夏で、暑さも大して苦にならなかった。

 海で泳いだり山に泊まったりなんて活発的なことはあまりしないが、私は私で毎年の夏を楽しむ術を知っていた。例えば、空。雲一つない晴れ空は他の季節のそれよりも随分と高く見える。あんまり高く見えるものだから、かえって作り物めいた印象を青空から受けることもある。自分の生活圏を完全に覆う青いドームを見上げていると、次第に夏の匂いに気付く。春の匂いは春が訪れた時、秋の匂いは秋が去っていく時、冬の匂いは冬が深まって寒さが底を打つ時に最も強まるが、夏の匂いは少し違う。夏の匂いは他の季節のものよりもずっと多くの種類があって、一日の内に何度も私たちの傍を漂う。朝日が昇れば地面から甘い湿気の匂いが立ち昇り、昼には容赦ない日光に焼かれた空気の匂いがする。夜には風に吹かれてどこからか植物の様な柔らかい匂いがする。その全てを汗ばんだ肌に纏って、行く当てもなく街を歩くのが大好きだった。

 しかし夏が終わろうとする今、あんなに好きだった匂いと今年は一度も出会えなかったことを思い返している。大きな仕事を初めて任されて、疲れ果て、休日もろくに外を出歩かなかったせいかもしれない。もしくは夏の匂いに気付くだけの感受性が私にはもはや無いからなのかもしれない。いずれにせよ、匂いも空も意識に残らない夏を過ごしたことが寂しくて仕方がない。

 一方で、年をとる度にこうして夏の過ごし方が変わっていくのかもしれないとも考えている。五感に夏を受け止めるような楽しみ方は、本当は子供の頃にしかできないのかもしれない。思えば大人になってからは花火も、お祭りも、友人たちとうんざりするくらいにゲームで遊ぶのも、一切を子供時代の思い出を追いかけるように楽しもうとしてしまう。今更思い出を追いかけたところで、得られるものは何も無いのに。高い空や夏の匂いなんていうのも実のところ、くたびれた心身をノスタルジーに浸して癒したい私の都合の良い思い出なのかもしれない。

 今日はネイルを新調しに出かけて、帰路に着く頃にはすっかり暗くなっていた。もう随分と涼しい風が吹くようになっている。それでもまだ、という気持ちで大きく息を吸い込んでみたが、最後の夏の夜は香らなかった。